プロフィール

るるん
はじめまして。「ワタシイロ 」を運営している”るるん”です!
私はADHDと診断されるまでずっと、「なんで人と同じことができないんだろう?」「なんでこんなに忘れ物や失敗が多いんだろう?」とモヤモヤした感情を抱いて生きていました。
そして、大人になるとそのモヤモヤが「生きづらさ」である、ということに気づいたのです

ここでは、プロフィールとして私の幼少期からADHDと診断されるまで、そして現在の状況をご紹介します。私は今まで様々な二次障害も経験しており、幼少期からその原因であろう精神的なダメージを受けてきました。しんどい内容が続くので、重たい内容が苦手な方はとばしてください。

ADHDと診断されるまで

幼少期

幼稚園

とにかく落ち着きがない

幼い頃の記憶はあまりないのですが、とにかく落ち着きがない子どもだったようです。
母は私があまりにもおてんばで持て余したのか、ピアノを習わせたのですが、ピアノの練習中もおしゃべりしたりすぐ席を立ったり。あまり真面目に練習していた記憶がありません。
また、小学校に上がる前に出席した親族の結婚式のビデオには、大人しく座っている妹の隣で一人だけピョンピョン飛び跳ねている姿が映っていました。全く記憶にないのですが、これは結構ショックでした…。

男の子みたいだった小学生時代

小学校の通知表には、「人の話をきちんと聞きましょう」と書かれることが多かったです。
低学年まではちょっとおてんば、くらいで済んでいたようですが、中学年以降は男の子相手に喧嘩したり、ちょっと悪い友達と空き家に侵入して遊んだりしていました。
一度、男の子と喧嘩してカッとなって扉のガラスを素手で割ったことがあるのですが、今思い返せば普通じゃありませんよね(わざと割ったわけではなく、相手がからかってきて逃げる時に目の前で扉を閉められた)。
そのくせやたら正義感が強かったので、目立つグループに注意して返り討ちにあったり。いじめられることもありました。

初めて死を意識した

小学5年で転校するまでは、そんなガラの悪い小学校に通っていました(私も十分どうかしてますが)。
いじめが当たり前だったその学校では自分がいじめられることもあり、その頃から「なんで生きてるんだろう」と思うようになりました。授業中トイレにこもって、「今死んだら家族が悲しむかな」なんて考えて一人で号泣したことも…。
女の子の友達とうまくやるのも大変で、毎日しんどかった私はある時母に「生まれてこなければよかった」「私はいじめられるために生まれてきたの?」と言ってしまったのです。その時、初めて母の涙を見ました。
5年生の時父の転勤で引っ越してからは、普通の穏やかな小学校で過ごすようになりそんな感情も落ち着きました。

中学時代

色鉛筆

おっちょこちょいな”いじられキャラ”に

幼い頃からどこかそそっかしかった私は、おっちょこちょいな「いじられキャラ」になりました。でも、「いじられキャラ」と言えば聞こえはいいですが、内容は悪口とも取れるものが多かったです。中学生女子あるあるかもしれませんが…。私はずっと、かわれるのが嫌で仕方ありませんでした。
この頃はまだ「私ってちょっと天然なのかな?なんで人よりドジなんだろう…」くらいにしか考えていませんでした。

中学校でもいじめは続く

中学校では、小学校とは別の形でいじめ(?)にあいました。仲良しグループの中でリーダーの女の子がいて、その子を中心に一人ずつ無視されるのです。自分の番がくるとみんなから遠ざけられ、机をくっつける授業なんかはとても辛いかったです。

友達をいじめてしまった

無視されることがどれだけ辛いことなのか身をもって知ったはずなのに、私は近所に住む友達を結果的にいじめてしまいました。私を慕ってくれていたその子は、いつも私のお弁当を見て「いいなあ。それちょうだい」と言うのです。私はそれが鬱陶しくて、ある日友達に「無視しよう」と言いました。すると、それをきっかけに他の子もその子を無視し始め、不登校になってしまったのです。私は両親と一緒に相手の子の家に言って謝りました。しばらくしてその子は学校に来てくれるようになりましたが、今でも罪悪感を抱えて生きています。

自分の見た目がひどく醜く思えた

思春期の女の子はみんな自分の見た目が気になるものだと思いますが、私はその程度がひどかったのです。もともとそれほどメイクに興味があったわけではないのですが、部活の先輩のマネをしてメイクし出してから自分の顔が気になるようになりました。学校の先生に化粧を注意されたり、母にも怒られたりしましたが、やめるどころか母に「整形したい」と言い出すほど。
当時は少しぽっちゃりしていたこともあり、自分の顔も体型も大嫌いだったんです。自分の顔が写るのが嫌で鏡を伏せたり、ぬいぐるみの顔を後ろに向かせたり。そこまでいくとちょっ異常ですよね。

高校時代

本

天然を超えて、本気で心配されるように

それまで「おっちょこちょいキャラ」でやってきた私ですが、高校に上がるとそれがひどく目立つようになりました。友達と話した内容を忘れたり、部活の発表会で必要な物を忘れて大騒ぎしたり。あまりにも忘れ物や不注意が多いので、「アルツハイマーなんじゃないの?」と本気で心配されました。この頃になると、「自分は他の人に比べてなんだか変だ」と思うようになっていました。

勉強しない・できない

ギリギリで高校に合格した私は本当なら必死に勉強しなければいけないはずだったのですが、好きなこと以外したくなかったので宿題を忘れたり答えを写したりしていました。高校のテストなんて一夜漬けでなんとかなるはずないのに、ほぼ毎回一夜漬けで赤点ばかり取っていました。ひどい時は再試も落ちて再再試も受けました。数学と英語は数式や文法を覚えることができなくてずっと成績が悪かったです。

授業中・部活中の居眠りがひどい

高校で割とハードな部活に入ったからか、授業中の居眠りや部活中の居眠りが目立つようになりました(おそらくADHDの症状もある)。午後はだいたいウトウトしていて、1日のうち全く寝ない日はなかったと思います。ひどかったのが部活中で、吹奏楽部に所属していた私は自分のパート以外が演奏している時に寝てしまっていたのです。一度先輩に泣きながら怒られてかなりショックを受けましたが、しっかり寝ても眠かったので当時は何が理由かわかりませんでした。

人の気持ちに気づけない

高校生にもなると、だんだんみんな精神的に大人になってくるものですが、私はまだ子どもっぽいままでした。部活の同じパートの同級生の子が嫌いで、ちょっと冷たい対応をしたり、キツく注意したりしていたのです。後輩ができるとその子と仲良くして少し距離を置いたり。でもある時、衝撃の事実を知ることになりました。当時自分のブログを持つことが流行っていて、パートの後輩の子のブログをたまたま見つけたのですが、そこには私の悪口が書いてあったのです。私はそんな風に思われているなんて全く気づいておらず、見えるものが全てだと思っていた当時相当ショックを受けました。

大学時代

図書館

大学受験で燃え尽きた

一浪して入った美術大では、塾長に勧められた「デザイン科」に所属していました。しかし当時の私はデザインなんて全くわからず、興味もありませんでした。ただ、「就職に有利だからデザイン科に行け」と言われ、とにかく絵に関わることがしたいとボンヤリ考えていた私は「なんかカッコいいから入りたい」と、言われるがまま受けてしまいました。そして、入学すると周りとの意識の違いに呆然。話に全くついて行けず、課題も面白くなく、大学に行くのが嫌になっていました。

モラハラ・DV男と付き合い鬱になった

入学前に付き合い始めた彼氏が東京から転がり込んで来ました。お金がなくなった彼は東京に帰ることができなくなり、同棲状態となりました。そして、徹夜で課題をしたり飲み会がひどい私の大学を「異常だ」と言い出したのです。そして、大学をやめることを勧めたり、色々と口を出すようになりました。大学の人との付き合いを制限したり、私のことを「社会から必要とされてない人間だ」と否定して来ました。時には包丁を持ち出したり、2階から飛び降りようとしたり…首を締められたこともあります(私も相当ヒステリックになって同じようにヤバいこともしていました)。
共依存のような状態になっていた私たちは、3年半もズルズルと付き合ってしまいました。
こちらの内容について、詳しくはこちらの記事でご紹介しています。↓

鬱がきっかけでADHDが発覚

元彼からのモラハラ・DVが主なきっかけで鬱になった私ですが、うつ病のことを調べて行くうちに『発達障害』のことを知りました。最初は何の気なしに読んでいたのですが、書いてあることが自分の症状と合致しすぎて読み進めるのが怖くなったのを覚えています。そのことを当時通っていたクリニックの先生に話し、問診の結果『ADHD』と診断されました。(私はウェクスラー成人知能検査(IQテスト・WAIS-III)は受けていません)

おしゃべりが止まらない・人の話に割り込む

私はひどいおしゃべりで、少人数の集まりだと一人でたくさん喋ってしまったり、会話に突っ込まずには要られませんでした(おしゃべりは自覚していました)。雑談のレベルならまだ許されたのですが、ある時グループ課題で会議をしている時に、アイディアを話している友人の話の内容を勝手に「〇〇ってことでしょ?」とまとめてしまったのです。その時、その子から「勝手に話まとめないで」と言われたのです(結構ハッキリ言うタイプの子でした)。私はその時ハッとしました。今までも、こうやって人の邪魔をしてたんじゃないか?と。それから、誰かと話す時に話の流れや発言していいかどうかを考えるようになりました。それまであまり何も考えずに話していたのが恐ろしいです。

一人暮らしがまともにできない

大学から一人暮らしを始めた私ですが、遅刻や忘れ物、公共料金の延滞などがとにかく多く、まともに一人暮らしできているとは言えない状態でした。また、お金の管理ができなかったので、生活費だけでなく制作費も考えて使うことができず、しょっちゅう両親に仕送りの追加をお願いしました。私の家は兄弟が3人おり、妹も一人暮らしをしていたので家計は相当ギリギリだったと思います。当時はそんなこともあまりよく考えずに、「足りなくなったからお金を入れて欲しい」と簡単に頼んでいたのです。
ADHDのお金に関する記事はこちらでご紹介しています。↓

課題の締め切りが守れない

学生の本分である勉強も中途半端でした。口では色々やりたいことを話すのですが、実際やるとなると途端にやる気がなくなり、ギリギリになって提出する作品はひどい仕上がりのものも。最悪、間に合わずプレゼンテーションを欠席する、というありえない行動を取ったりもしました。鬱で休学したり単位が足りず留年したりしたので、結局2年も学年が下がってしまいました。一番ひどかったのが卒業制作で、本来全員が作品を展示する予定だったのですが、私だけが展示日に間に合わず展示できなかったのです。搬入直前は2、3日ほぼ徹夜をし、それでも間にあわず最後は教室で号泣しました。本当にひどい醜態です。

社会人

会議

仕事に適応できない

就職活動はデザイン系ではなく一般企業の企画系を受け、面接が好感触で何社か合格通知をもらうことができました。そして、結果的に3年遅れで社会人生活をスタートしたのです(1年浪人、2年留年)。
しかし、入社した頃すでにその会社の経営は芳しくなく、環境が悪くなり始めたタイミングだったのです。さらに、最初に配属された部署は細かい作業や覚えることが多く、私の苦手分野が集結したような内容でした。そこでうまく適応することができず、ADHDをカミングアウトすることにしました。

ストレスでパニック発作→休職→退職

ADHDであると言う事実を告げると、Web系の部署に異動になりました。そこでは自分の得意なことを発揮できたので仕事自体はとても面白くやりがいがあったのですが、すでに相当なストレスが蓄積されていたこと、会社の環境が悪くなる一方であったことから体に様々な異変が現れました。しまいには通勤途中にパニック発作を起こし、会社に行けなくなってしまったのです。それから休職することになったのですが、1ヶ月も経たないうち退職を決め、翌月退職しました。

現在:フリーランスとして働き方を模索中

会社をやめてから1ヶ月後くらいにこのブログを立ち上げました。このサイトの目的は『ワタシイロ について』に詳しく書いています。

今はクラウドソーシングサイトを中心にフリーのライター・デザイナーをしている私ですが、まだ体調が完全には回復しておらず、働き方も安定していない状態です。(傷病手当受給中)
しかし、私の数々の失敗や工夫をブログで共有することで、少しでも誰かのお役に立てられればいいな、という思い出ブログを書いています。

ADHDでも自己コントロール力を身につければ、在宅のフリーランスという働き方は不可能ではありません。それどころか大きな可能性を感じています。
1年後ブログが少しでも多くの人に読まれること、そして私自身がこのブログのテーマである『ADHD女性が”私らしく”生きる』に少しでも近づけていればいいなと思います。

好きなこと・夢!

風船

生い立ちが記事並みの大ボリュームになってしまいましたが、長くなりましたが…最後にちょこっと好きなモノ・コトをご紹介します。

趣味

  • ものづくり

基本何かを作ることが好きなので、気になったものはとりあえずやってみます!
中でも長く続いているのが『レザークラフト』『アクセサリー作り』のふたつ。
色々なものに手を出すと、組み合わせてオリジナルのデザインを作れるのでADHDの飽き性も意外と役立ってるかも?

  • アクアリウム

海水魚を飼育しています!水槽は60㎝なので結構大きめ。
お気に入りはハコフグの「レティキュレイトボックスフィッシュ」。模様がオシャレなうちのアイドルです。
アクアリウムはペットというより、生態系を構築するようで面白いです。

  • 和太鼓

地元の伝統文化である「和太鼓」をやっています。
まだまだ始めたばかりでヘタクソですが、いつか大きなお祭りで叩くのが夢。

  • ADHDの人に役立つアプリを開発する
  • 好きな時に好きな場所で好きな仕事をする
  • デザイン雑貨のブランドを立ち上げる

なんのノウハウもないまま退職してしまった私。強いて言うなら、ちょこっと文章が書けて、ちょこっとデザインができるくらい。プログラミングのスキルがなんてもちろんないですし、アプリ開発なんて夢のまた夢。

でも、夢を叶えるためにフリーランス/ブロガーとしてコツコツ頑張ります。
アラサーでこれって正直やばいんじゃね?って思うけど、もう進むしかない!
上に書いた3つ、30代で全部叶えるってここに宣言します!!

 

おわりに

最後まで読んでくださった方、長々と付き合ってくださりありがとうございます。
どこか共通する部分があったのでしょうか?
お互いに諦めず、少しずつでも前に進んでいけるといいですね!

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