家族はいつでもやり直せる。大人になった私たちの再生物語

家族

こんにちは!るるん@lulun_ADHDです。

今年の年末年始は12月28日〜1月5日までの計9日間実家に帰省してきました。
大学入学を機に親元を離れた私は、二十歳から毎年こんな感じです。時には帰れない(帰りたくない)時もありましたが…。

でも、実家を心の底から「安らげる場所」と思えるようになったのは、つい最近のこと。

家族って難しいですよね。
私だけじゃなく、「家族に違和感を感じている」方もいらっしゃるのではないでしょうか。

るるん
自分の家なのに居心地が悪い…。なんでだろう?

私は今回の帰省で両親と過去について話し、家族のわだかまりを解消することができたんです。
子どもの頃感じていた理由とは別のところに大きな原因があり、それぞれにとても悩んでいたこと。母も私も最後には号泣していました。

どこにでもある平凡な家族の再生物語ですが、私にとってとても記憶に残る出来事だったのでブログに書いておきます。
今家族の在り方に悩んでいる方も、「こんな風に再生できるんだ」と考えるきっかけになれば嬉しいです

ギクシャクしていた家族の関係

アルバム

ここでは、私がコンプレックスに感じていた「家族の違和感」をまとめます。
その前に、簡単に家族構成をご紹介。

家族構成

激務のため、幼い頃から家にいることが少なかった父。
一人で家族5人を支えてきてくれた大黒柱。
私が高校生の頃は単身赴任で月1帰ってくるくらいで、ほとんど会う機会が無かった。
真面目で仕事熱心、家族思いで優しい。ちょっと理屈っぽいところも。

家族5人を支える専業主婦。
激務でほとんど家に居なかった父の代わりに、子ども3人を育ててくれた。
父の単身赴任中は一人で私たちの面倒を見ながら、時々父の元へも通っていた。
自己犠牲と「家族のためなら」という奉仕精神がすごい。真面目で心配性。

2つ年上の兄。めちゃくちゃ頭いい。頭良すぎて話しかけるのが怖い。
去年結婚してお嫁さんと二人で暮らしてる。
ぶっきらぼうだけど、実は優しい。
兄は唯一実家から大学に通っていたので、母との時間が一番長かった。母に特に優しい。

2つ年下の妹。妹もめちゃくちゃ頭いい。だけど女同士だし色々話せる。(ようになった)大学から一人暮らししてる。
私と同じで自己肯定感低めだったけど、今年は「自分で一人で立てるようになるまで彼氏は作らない」と宣言して帰った。めっちゃかっこいい。
小さい頃は私の真似するのが好きだったみたい。人見知りしやすく大人しい。(本当は自分の意見持ってる)

頭いい兄と妹に挟まれて一人だけレールから外れまくってる問題児。
一浪して入った大学を休学&留年(うつ)で6年かけて卒業。(除籍寸前)
就職したと思ったら自律神経失調症になって1年半で退職。メンタル弱めでいつも両親に心配かけてた。
素直でなんでも真に受けやすい。

私たち家族はココがおかしかった

兄弟3人が母を介して会話する

まず最初に思いつくのはこれ。
思春期と言われる中学生くらいから、私たち兄弟はお互いに話しかけることが少なくなりました

しかし、同じ家に住んでいれば必要最低限の会話がいるわけで…。
それすらしなかった結果、どうなったかというと、母が兄弟3人の間に立って”伝言役”をしていたんです。

例えば”お風呂に入る順番”。
母が私にお風呂に入るかどうか聞く→私「まだいいよー」→母「るるんがまだ入らないって言ってるんだけどどうする?」と兄に聞く→兄「俺入るわ」→母「〇〇(妹)も入りたいって言ってる」→母「二人で話し合って」

といった感じ…。ナンダコレ。
でも、当時はおそらく3人とも相手にどう接していいのかわからなかったんだと思います。
(詳しくは次の『両親と話してわかった、それぞれの悩み』で書きます)

私は兄のことを無口で話しかけづらい(自分と違ってめちゃくちゃ頭いいし)と思っていました。

そして、妹は私が部長を勤めていた同じ部活に入ってきたのでなんだか気まずく…。
当時、妹は「お姉ちゃんは明るくて面白くていいよね」と言わることがあり、比べられているようで嫌だったと聞いたことがあります。

雰囲気がギクシャクしてる

父は帰りが遅く、兄弟3人はまともに会話しない。
その結果どうなったかというと、「家の雰囲気がギクシャク」するように。

それぞれ母とは普通に会話していたのですが、兄弟間で会話がないので「笑顔が溢れる暖かな家庭」には程遠く…。

兄弟それぞれ部活や塾に行っていたので生活スタイルが合わず、だんだん一緒にいる時間さえも少なくなっていきました。同じ家にいるけど別々の生活をしているような。

生活スタイルが合わないのはよくあることでしょうが、「会話がない」となると話は別です。本当に他人と生活しているみたいな感覚になっていきました

そして、「なんだか居心地の悪い家」が出来上がってしまったのです。

(兄は、下が妹二人だったために余計悩んだかもしれない…)

両親の仲もあまり良くなかった

さらに言うと、父と母の仲もあまり良くなかったように思います。
(そもそも父が家に帰ってくる時間が遅かったのでうろ覚えですが)

「両親の仲が良くない」ことは子どもが不安に感じる原因でもあります。
これも理由があったので次の項目で触れます。

当時の私は家族の話をするのが苦手だった

中学生から大学生くらいまで、私は家族の話をするのが苦手でした。
周りの友達の話を聞いていると両親の仲が良かったり、姉妹で旅行に行ったり…それが”普通”なんだと思っていました。

だから、「家族仲が悪いうちはおかしいんだ」「なんか恥ずかしい」と家族にコンプレックスを感じていたのです。(おそらく他の兄弟もそう)

だから、家族の話になると「うちはあまり家族仲良くないんだよね笑」と笑ってごまかし、深く話すことはしませんでした。

でも、心のどこかでは「なんで仲良くできないんだろう…」と悩んでいたのです。毎日顔を合わせる家族についての悩みは、当時の私にとってとても大きな問題でした

両親と話してわかった、それぞれの苦悩

ブルドッグ

ここまでの流れだと、単純に「兄弟仲が悪いだけなんじゃないの?」と思われそうですが、実はこれには”思春期”以外の理由があったんです。

今回実家に帰省した際両親と過去のことについて話す機会があり、色々なことが明らかになりました。

父の転勤で環境が変わった

私の家庭は転勤族です。
父が全国転勤有りの仕事をしているため、幼い頃から3回ほど転勤しました。(家を建ててからは父が単身赴任に)

1回目、2回目は私たちがまだ幼稚園に通っているような時期だったのでほとんど記憶がないのですが、3回目の転勤は家族みんなにとって大きな”変化”でした。
兄が中学1年生、私が小学5年生、妹が小学3年生の時のことです。

パワハラを受けていた父、家族を支えていた母

これはついこの前聞いたことですが、父は転勤先の会社でひどい”パワハラ”にあっていたのです。

子どもの私が褒めるのもなんですが、父は田舎育ちながら学費を自分で工面し大手に就職した努力家で、転勤する時には既に役職がついていました。

しかし、転勤先の会社ではそれを面白く思っていなかった上司から理不尽なことを散々言われ続け、精神が崩壊していたそうです。一時は”死”さえも考えていたと…。

母からも「お父さんが家に帰ってくると泣いていた」と聞き、本当に驚きました。
当時まだ小学生だった私がこの事実を知ったら、到底受け止められなかったことでしょう。

私の両親は「仲が悪かった」のではなく、「必死に戦っていた」のです

適応することに必死だった子どもたち

親にとってもそうですが、子どもにとっても「転校」は大きな変化。
学校しか知らない子どもにとって、それが生活の全てになるからです。

兄はもともと勉強も出来てみんなを引っ張っていくようなリーダータイプでした。学級委員でも会長を勤めたり、クラブでもリーダーになったり。明るくて活発だったイメージがあります。

しかし、転校先の中学校は誰もが知る「不良が多い中学」だったんです。
母は近所のお母さんに「あそこはやめたほうがいい」と言われたそうですが、中学受験の準備をしているはずもなく、そのまま入学することに。

学年1位の成績を収めるほど頭の良かった兄は、それを理由にからかわれることが増え、次第に目立たないキャラになっていきました

転校前の小学校が大好きだった妹は、転校するのが寂しくてしょうがなかったようです。

そして、もともと大人しい性格だったため新しいクラスに馴染むのに時間がかかり、人間関係でつまずいてしまったのです。
妹は自己肯定感が低く(本人も自覚してる)、小さい頃に「真面目で面白くないやつ」と思われていないか不安だった、と話してくれたことがあります。(これが小学校の時の話かは定かでありませんが)

私はというと、「地獄から解放されて、平和な生活を手に入れた!」とむしろ元気でした。
私にとって転校前の小学校は本当に苦痛だったんです。
田舎の小学校で気が荒い子が多く、悪い友達に誘われて学校の壁に落書きしてしまったり、男の子にいじめられたり。本当に最悪だったので救われた気持ちでした。

この転勤によって家族みんなが色々な悩みを抱えることになり、そこに中学生の”思春期”が入ってきたため、どんどんこじらせることになってしまいました…。

高校時代はさらにみんながバラバラに

高校時代は父が単身赴任になり、母の負担がとても大きくなりました。(もちろん一人で生活していた父も大変だったと思いますが)

大きな出来事といえば、妹が不登校になってしまったことです。

既に兄弟での会話はほとんどなかったので妹が何故学校に行けなくなってしまったのかはあまり詳しく知りません。

ただ、当時受験勉強で大変だった私は「何か楽しいことないかなー」と家でネガティブなことばかり言っている妹の存在が疎ましく感じることもありました。(この前母に、「こんな家早く出ていきたいと言われたこともある。だから(県外受験を)止めなかった」と聞いて、自分でもびっくりしました)

兄は兄で髪を染めたり(偏差値が高く、校則が緩かった)、好きにしていました。
きっと兄も私や妹のことをストレスに感じることもあったでしょうが、あまり干渉せず、と言った感じで。

当時のことを思い出すと今でも胸が苦しくなります。

(ちなみに妹は、高卒認定を取得し、現役で難関大学に合格し。一人暮らしをすることになりました。本当にかっこいい!)

何故私たち家族はやり直せたの?

クエスチョン

ここまで悲惨な家族のエピソードを赤裸々に書きましたが、今は家族みんな仲良しです。
特にここ数年はどんどん良い方に向かっている気がします。
特に妹と私はお互い泊まりに行ったりするほど仲が良くなりました。

ここでは私たち家族がやり直せた理由をご紹介します。

私たち家族が再生した理由

別々に暮らし、それぞれが大人になった

一番の理由は「時間」です。
特に兄弟間のギクシャクは時間が解決してくれたように思います。

私たち兄弟は私と妹が一人暮らし、兄が実家に残るというバラバラな生活を送りました。夏休みに家に帰って「元気にしてるんだなー」と確認するくらい。(大学時代も”母を介して会話”は続いてた)

でも、離れたお陰でお互いが抱いていたモヤモヤが減り、リセットされた感覚があったんです。
さらに他人になってしまったと言えばそうなんですが、中学・高校とギクシャクしていた私たちにとって、この期間は重要でした。

「お正月」がみんなを繋いでくれた

大学時代は変える時期がバラバラで、誰かと会うけど誰かと会えなかったり、そんなことが当たり前でした。

私は大学で2回もうつになり、「実家に帰っても何を話せば良いかわからない」という恐怖から兄弟に会うことも避けていました。

でも、社会人になると休みの期間が決まっているので、必然的に同じ時期に帰省するようになります。最初はぎこちなかったものの、だんだんと話せるようになっていきました。

兄が結婚し、お嫁さんが家族になった

去年、兄が結婚しました。
そして、去年に引き続き今年もお嫁さんが実家に遊びに来てくれたのです。

そうなると、みんな(特に父)がお嫁さんをもてなすムードになって、何故か一緒にTVゲームをやったり(父が提案)、会話も楽しくなりました。

最初こそ頑張ってる感(?)がありましたが、今年のゲーム大会(父が企画笑)は大成功で、家族みんなが楽しめました!
間違いなく、今までで最高に楽しいお正月に。

もしかしたら、お嫁さんが幸せを運んで来てくれたのかも…?

過去の話をできるようになった

これは私と妹の話です。
私たちは小さい頃とても仲が良く、お手紙交換をしたりするほどでした。
でも、それがいつしか気まずい関係に…。

でも、妹と打ち解けられるきっかけがやって来たんです。

就活で関東の企業を受けようと思っていた私は、母の勧めで妹に「泊めてくれない?」と聞いてみました。ダメもとで聞いたのに、答えはOK。

まさか、あれだけ心の距離がひらいていた妹が家に泊めてくれ、一緒のベッドで寝るなんて…!!もう、私は嬉しくて仕方ありませんでした。

その夜は小さい頃の話や今まで思っていたこと、家族の話などお互い沢山話をしました。
それからは、お互いの家に泊まりに行ったり時々LINEする仲に。

これからもっと仲良くなりたいと思ってます(笑)

ちなみに、私と妹の自己肯定感の話や過去につてはこちらの記事で書いています。

自己肯定感を高める方法は「自信をつける」ではなく「受け止める」こと

2018年11月14日

まとめ:家族はいつでもやり直すことができる

スマイル

煩わしいこともある。だけどいつでもやり直せる

私はずっと自分の家が”平凡”だと思っていました。
でも、思い返せばそれぞれにたくさん辛い思いをしてきたのです。

「幸せな家族」が当たり前の人たちにとってはそれが”普通”かもしれません。
でも、私たちは「当たり前の幸せ」を手に入れるのに何年もかかりました。

けれど、何かのきっかけやちょっとした自分の行動で家族が良い方向に向かうこともあります。

今家族のことで悩んでいる方も、諦めずに進んで欲しいな、と思います。

「よかった」「本当にいい気持ちだ」と繰り返す父の背中が忘れられない

両親と家族の過去について話した後、父が「本当によかった」と繰り返していたのがとても印象に残っています。

それはそれはとても嬉しそうな、幸せそうな表情でした。

母も、兄弟3人もそれぞれに辛い思いを抱えてきたと思いますが、パワハラに耐え、家を建て、単身赴任でも一人で仕事に打ち込み家族を支えてきた父は本当にすごい人です。

一緒に居られる時間は短かったけれど、いつも私たちのことを想ってくれていたんだと思います。

一時期は子ども3人が一人暮らししているという時期もあり、金銭面でもかなりプレッシャーが大きかったでしょう。

それでも、何不自由なく育ててくれた父。

そんな父が今年還暦を迎えます。

今では仲良くなった私たち。
家族みんなで父の還暦祝いを考えています!

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ABOUTこの記事をかいた人

るるん

20代後半・女性のADHDフリーランサー(デザイン/ライター)。 大学時代、二次障害の鬱をきっかけに発覚、それからは「ADHD女性の生き方」を模索し続けています。 発達障害の特徴や働き方に関する内容から、恋愛・ファッション・趣味など女性ならではのテーマまで、幅広く扱っています。 「読んでいて楽しい記事」を書くのが目標です!